2019.02.26 / 健康・美容
海藻は食用だけでなく、租税や祭事、また日本人の文化などにも密接な関係がありました。
飛鳥時代、刑法・民法・行政法が定められた大宝律令(701年)には、租税として29種の海産物のうち8種類の海藻が記されています。また、神社の祭礼の際の供物なども定められており、コンブやワカメなどの数種類の海藻の名前が載っています。
文化的にも飛鳥・奈良時代の代表的な歌集である万葉集には、和海藻(ワカメ)や海松(ミル)、名告藻(ホンダワラ)が登場し、また海藻名を限定していなくても「藻」や「玉藻」、「藻塩」という表現で海藻を詠んだ歌は多く、全てを合わせると100首近くになるといいます。
平安時代には貴族は米を主食とし、副菜として野菜・海藻が多く食べていました。
室町時代になると、食糧事情が豊かになってきたので、海藻は嗜好食品として広まるようになり、一般家庭にも少しずつ普及していきました。
戦国時代へ入ると、多くの食糧が備蓄化し、アカモクと同じ褐藻類に属すコンブやアラメ、ヒジキが干物として利用されたといいます。
江戸時代になると食物の流通が盛んになり、藻食の習慣も急速に庶民へ浸透。飢饉が全国を襲ったときに、食糧を備蓄する重要性が高まり、雑穀や果実とともにコンブやワカメやヒジキなどの海藻が役立っていたといわれています。また、各地域の藩財政を向上させるために地域ごとに特徴的な地域産業がつくり出されました。そのときに、現代でも名産品と言われる陸奥の松前昆布、出雲や隠岐のワカメなどが生まれました。
海藻はその時代背景やシチュエーションに合わせて、形をかえ、用途をかえて、日本人の生活に深く深く根付いてきたんですね。
[ シリーズ : 日本人と海藻の関係史① ]
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